東京駅から、東海道本線に乗って1時間ほど。
電車は、潮風を感じる大磯駅に到着します。
大磯町は、北は大磯丘陵、南は相模湾に囲まれた自然豊かな人口約3万人の町です。
万葉の時代から歌にも詠まれ、江戸時代には東海道五十三次8番目の宿場町として栄えました。
明治以降は、伊藤博文や吉田茂をはじめとした政財界の重鎮や文化人が居を構え、「湘南の奥座敷」ともいわれた所です。
今回は、宿場町「大磯」にスポットをあてて巡ります。
(歌川広重の東海道五十三次・大磯「虎ケ雨」)
(文化庁・文化遺産オンラインから借用)
目 次
大磯宿
東海道五十三次は、江戸時代に整備された東海道にある53の宿場をいいます。
江戸・日本橋を起点として、京都・三条大橋までの487.8㎞に53の宿場があり、
「大磯宿」は、8番目になります。
今では、開発により周辺の姿は大きく変貌しましたが、往時の面影は幾つか残っています。
その一つが、「本陣」跡です。
「本陣」は、大名、旗本、勅使などの身分が高い者が宿泊した宿で、その土地の名士の家が指定されることが多かったようです。
「大磯宿」には、小島本陣、尾上本陣、石井本陣の3つの本陣がありました。
その3つを巡ってみます。
大磯宿本陣跡巡り
大磯駅を出ます。
OisoBeachのゲートくぐったらすぐ右折します。
「さざんか通り」を国道1号に向かって歩きます。
200mほど行くと国道1号の「大磯消防署前」交差点にでます。
ここが旧東海道で、大磯宿にあった3つの本陣跡はこの周辺にあります。
東側に数メートル行った所にあるのが、「小島本陣」跡です。
3つの本陣の中で資料が1番残っているそうで、間取り図が書いてあります。
建物の側面には、石碑がありました。
近くには「問屋場」もあったようです。
「大磯消防署前」交差点の西側に信用金庫があります。
その敷地内に、「尾上本陣」跡の石碑がありました。
道路側は、「大磯小学校発祥之地」と刻まれています。
「大磯消防署前」交差点を渡り、西側に進みます。
国道1号の向かい側に、1880年に創業らしい「いず常」があります。
歴史を感じる佇まいです。
「石井本陣」があったところです。
現在も、旅館のようです。
東海道松並木
江戸時代に街道が整備された際、松並木も設けられました。
国道1号沿いでは、時折、今も松並木を見かけますが、ここもその名残です。
(2020.11 撮影)
街道沿い
温暖で風光明媚な大磯は、古くから文化人も愛した土地です。
明治~昭和にかけての日本を代表する文豪・島崎藤村もその一人です。
最晩年の約2年半を大磯で過ごしました。
また、国道1号沿いには、「鴫立庵」(しぎたつあん)があります。
京都・落柿舎、滋賀・無名庵とともに日本三大俳諧道場ともいわれています。
そして、大磯は、避暑避寒を求めて、政界の要人たちが集まり、別荘や邸宅を築いたことから「政界の奥座敷」とも呼ばれました。
伊藤博文、山懸有朋、大隈重信、西園寺公望、寺内正毅、原敬、加藤高明、吉田茂といった内閣総理大臣経験者も居を構えました。
その一部は、明治記念大磯公園として公開されています。
(明治記念大磯公園・旧大隈重信別邸)
大磯。
自然に恵まれ、文化、歴史が刻まれた街です。