江戸時代、東海道の宿場町として栄えた「大磯」。
温暖な気候と風光明媚な土地柄から、東海道本線の大磯駅が開業した頃から、別荘地として、急速に発展しました。
明治以降、政財界の要人・文化人などが別荘、居を構えたことでも知られています。
今月の3日に、明治期の元勲たちの別邸が集まる「明治記念大磯邸園」が一部開園しました。
“湘南発祥の地”ともいわれる大磯。
(当然、諸説あります。)
駅前を中心に、明治記念大磯邸園、旧島崎藤村邸、三大俳諧道場・鴫立庵などが集まっています。
先日、大磯の歴史と文化と自然を巡ってきました。
目 次
湘南発祥の地
JR大磯駅を降りると、駅前ロータリーに、「湘南発祥の地」の大きな石碑があります。
1664年、宗雪(そうせつ)という人が結んだ草庵(のちの鴫立庵)に、「鴫立沢」の標石を建てましたが、
そこに「著盡湘南清絶地」と刻まれていることが根拠となっています。
「著盡湘南清絶地」
あきらかに湘南は清絶をつくす地という意味です。
大磯が、湘南発祥の地というのは、主として町役場の主張のようです。
「元祖」「発祥」などには、諸説が存在することが常です。
湘南の地名の由来には、
- 律令制の相模(さがみ)国の「相」の字にサンズイを付け、その南部であったためとする説
- 現在の中国の湖南省を流れる湘江の南部の気候風土に藤沢の沿岸部が似ているとの説
- かつて中国にあった長沙国湘南県は禅宗の本場であり、その地名が鎌倉時代に鎌倉に伝わったとする説
などなど、様々な説があります。
政界の奥座敷
大磯には、避暑避寒を求めて、明治政界の要人たちが集まり、別荘や邸宅を築いたことから「政界の奥座敷」とも呼ばれました。
伊藤博文、山懸有朋、大隈重信、西園寺公望、寺内正毅、原敬、加藤高明、吉田茂といった内閣総理大臣経験者も居を構えました。
明治記念大磯邸園
明治記念大磯邸園までは、JR大磯駅から徒歩約15分です。
東海道は、江戸幕府が松並木を整備し、現在もその名残を随所に見ることができます。
大磯邸園は、伊藤博文邸跡(旧滄浪閣)はじめとした明治の元勲4人の邸宅が集まった約6haのエリアです。
国が整備を進め、今回、大隈重信邸・陸奥宗光邸の一部が開園しました。
入口です。
大隈重信は、第8・17代首相で、東京専門学校(現早稲田大学)の創始者です。
旧大隈重信別邸です。
現在は、建物の中には入れません。
陸奥宗光別邸跡へと続いています。
陸奥宗光は、第二次伊藤内閣の外務大臣です。第三代神奈川県知事でもありました。
後に古河家が取得し、関東大震災で倒壊した建物は、昭和5年に再建されたものです。
木造平屋建て和風数寄屋造りです。
庭には、小鳥が水を飲みに来ていました。
庭園を望みます。
隣の敷地にある伊藤博文邸跡(旧滄浪閣)です。現時点では、未公開です。
1954年から2006年までは、大磯プリンスホテル別館「滄浪閣」という名の結婚式場でした。
何度か、入ったことがありますが、重厚な建物です。
こゆるぎの浜
「こゆるぎの浜」は大磯海岸の別名です。
いにしえの歌集で、大磯~二宮の海岸は、「こゆるぎ」と詠まれていました。
こるゆぎの浜へは、大磯邸園の中央の道を進みます。
西湘バイパスの下のトンネルを行くと海が見えてきました。
こゆるぎの浜です。
西を望むと、箱根方面です。
東を望むと、藤沢・鎌倉方面です。
穏やかな海です。
[後編]では、日本三大俳諧道場「鴫立庵」や美味しいカレー屋さんを巡ります。