温暖な気候と風光明媚な土地柄から、明治以降、政財界の要人・文化人などが別荘、居を構えた「大磯」。
前編では、明治の元勲たちの旧邸宅、そして穏やかな「こゆるぎの浜」を散策しました。
[後編]では、文化人にスポットを当てて巡ります。
目 次
旧島崎藤村邸
大磯駅から徒歩10分ほどのところに、「旧島崎藤村邸」があります。
島崎藤村は、明治~昭和にかけての日本を代表する文豪です。
この住居は最晩年の昭和16年2月から、71歳で逝去する18年8月までの2年半、静子夫人と暮らしたところです。
藤村がお気に入りだった書斎です。
(中にいるのは受付の人です)
居間です。
静子夫人が若そうです。
歳の差は、25ほどあったようです。
居間側から庭を望みます。
藤村が「静の草屋」(しずのくさや)と呼んだ簡素な佇まいです。
どこからか、猫も散歩にきていました。
お昼ご飯は、CHAIRO
旧島崎藤村邸を出たのは、午後1時頃。
そろそろお昼ご飯の時間です。
この界隈は、数こそ少ないですが、お洒落な店が結構あります。
その中から、Curry CHAIRO(チャイロ)にしました。
明るくて、ステキな店内です。
(少し前まで、お客さんが結構いました。)
なす・トマト・ホウレンソウのチーズカレー(1050円) にしました。
カレーです。
どうやらスープカレーのようです。
とても美味しかったです。
鴫立庵
昼食後、「鴫立庵」(しぎたつあん)に向かいます。
徒歩数分、国道1号線沿いにあります。
橋の下を流れるのが「鴫立沢」(しぎたつざわ)です。
平安時代の歌人・西行法師ゆかりの俳諧道場で、
京都・落柿舎、滋賀・無名庵とともに日本三大俳諧道場ともいわれています。
「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」
西行法師が大磯を訪れた際に詠んだ歌といわれています。
1664年に、崇雪(そうせつ)が西行法師ゆかりのこの地に「西行寺」を作るため草庵を結び、その際に「鴫立沢」の標石を建てました。
この標石の裏側に「著盡湘南清絶地」とあり、大磯が湘南発祥の地とする説の根拠になっています。
その30年後の1695年、俳人の大淀三千風が入庵し、「鴫立庵」と名付けました。
鴫立庵室です。
俳諧道場です。
敷地内には、五智如来像、西行法師の座像を安置した「円位堂」などがあります。
蛙鳴蝉噪の蛙
鴫立庵で、特に気に留まったのがこのオブジェです。
「蛙鳴蝉噪の蛙」
「けいめい せみそう の かえる」???🙄🙄
なんじゃこりゃ🤔
「あめいせんそう の かえる」と読むそうです。
「蛙鳴蝉噪」とは、「蛙や蝉がやかましく鳴く」ことのようです。
田んぼの近くに住んだことがある人は分かると思いますが、梅雨時のカエルの合唱は驚くほどうるさいものです。
そして、夏のセミの鳴き声も、うるさく煩わしく感じることさえあります。
後に庵主となった「原昔人」は鋳金家でもあり、親交のあった正岡子規に高さ7センチのこの置物を送ったそうです。(写真の物は、1mに復元したもの)
この置物を見て、晩年、病床にいることが多かった子規は、
「蛙鳴蝉噪彼モ一時ト蚯蚓鳴ク」
(あめいせんそう かれもいちじと みみずなく)
と詠みました。
「蚯蚓鳴く」(みみずなく)は、秋の季語で、ミミズの鳴き声が聞こえるかのような秋の静けさを表すようです。
カエルやセミが、やかましいほど鳴くのも命の営みであり、その時期を過ぎれば「死」が待っている
ミミズの鳴き声が聞こえてきそうな静かな秋に、そのことを思う
そんな風に受け止めました(一部私見です)。
34歳で早逝した子規の心情が、この一句に込められているような気がしました。
今回、明治記念大磯邸園が一部開園との情報を得て、出かけてみました。
大磯は、これまで数えきれないほど通過してきましたが、こうした歴史や文化があることは、つゆほども知りませんでした。
期せずして、大磯にとどまらない、日本の歴史や文化に出会うことができました。
ただ気が付かないというだけで、意外と身近なところに出会い・発見の機会はあるのかも知れません。