そして、その間にある「坂ノ下」の3つの地区で構成されています。
坂ノ下地区からは、東に由比ヶ浜の美しい海岸線を望むことができます。
先日、「極楽寺駅」に行きました。
鎌倉海浜公園・坂ノ下地区へは徒歩10分ほどです。
由比ヶ浜を眺めながら、古(いにしえ)に想いを馳せてきました。
(※市の施設などは「ガ」、海岸の名称などは「ヶ」を用いることが多いようです。)
目 次 🚋
三角地
鎌倉海浜公園坂ノ下地区は、海を眺めながら休憩できる広場(三角地)とプールのある広場とに分かれています。
今回の目的地は「三角地」です。
極楽寺駅を出発します。
国道134号へ向かっていくと、途中に鎌倉名物「力餅家」があります。
路地を右折します。
進みます。
海が見えてきました。
国道134号に出ました。
道路を渡ると、由比ヶ浜を一望できます。
もうすぐ海開き。
海水浴場として多くの人で賑わいます。
三角地は、もうすぐです。
鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地の方)に到着です。
海を望む芝生の公園です。
実朝歌碑
台座は船を、歌碑板は帆を、下の線は波を表しているそうです。
世の中は つねにもがもな 渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも
波打ち際を漕いでいく漁師の小舟のように、世の中がいつまでも変わらずにあってほしい‥
と詠んだ歌のようです。(知らんけど‥🙄)
源実朝渡宋計画
実朝は、宋へ渡るために、南宗出身の工人・陳和卿に大船の建造を依頼しました。
1217年(建保5年)に完成し、由比ヶ浜で進水に臨みましたが、船は海に浮かばず計画は頓挫しました。
昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でそのことを知りました。
1203年(建仁3年)にわずか12歳で幕府の実力者・北条氏に擁立され将軍となった実朝。
そして、1219年(建保7年)に、享年28歳で頼家の子・公暁に討たれました。
源頼朝が没した1199年以降、激動の時代を生き抜いた実朝でした。