青空のスローな生活

旅行、写真、乗り物、料理、日常の出来事の記録です。ちょっぴり贅沢しながら、節約ライフ実践中です。

相模国分寺跡(海老名市)~奈良時代に思いを馳せる

「相模国」

 

 

「すもうのくに」ではありません😂

 

「さがみのくに」と読みます。

 

私の住む神奈川県は、律令国であった「相模国」のほぼ全てと「武蔵国」の一部のエリアで成り立っています。

 

神奈川において「歴史」を考えるとき、

 

初めての本格的武家政権の幕府が置かれた鎌倉

戦国時代、関東に覇を唱えた後北条氏が居城を構えた小田原

あるいは、明治の開花期から国際港都へと変貌を遂げた横浜

 

などにスポットが当てられがちです。

 

しかし、神奈川の地でもはるか昔の旧石器時代以前から、人々の営みは脈々と続いています。

 

時は、天正17年(741年)。

 

聖武天皇は、仏教による国家鎮護のため、各国に国分寺(こくぶんじ)の建立を命じました。

 

相模国では、その国分寺は、海老名市に建立されました。

 

今回は、1921年(大正10年)に国の史跡に指定された相模国分寺跡を訪れ、遠い奈良時代に想いを馳せます。

 

 

目 次 

 

国分寺

741年(天平13年)、聖武天皇は、各国に国分寺(こくぶんじ)建立の詔(みことのり)を発しました。

 

当時は、律(刑罰)、令(その他の制度)による国家運営が行われた律令制と呼ばれる時代でした。

 

奈良(その後は京都)に都が置かれ、地方を国・郡・里に分け、国司は中央から官吏が派遣されていました。

 

国分寺の多くは、国府かその近くに置かれ、国庁とともにその国の最大の建築物であったとされます。

 

相模国

現在の都道府県の区域は、律令制当時の国のエリアをベースに改編されているといえるでしょう。

 

私の住む神奈川県は、「相模国」の概ね全域と「武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県横浜市・川崎市)」の一部が改編された区域で成り立っています。

 

相模国の国府は、現在の平塚市にあったとする説が有力で、国分寺は海老名市に設けられました。

 

一方、武蔵国の国府は、現在の東京都府中市に、国分寺は現在の東京都国分寺市に設けられました。

 

七重塔モニュメント

海老名駅周辺は、今では、ららぽーとやタワマンが建設され急速に都市化していますが、

その皮切りになったのが駅前商業施設「ビナウォーク」でした。

 

相模国分寺跡に行く途中に、ビナウォークを通ると「海老名市中央公園」があります。

 

相模国分寺にあった「七重塔」は、海老名市のシンボルともいえる存在です。

65mの高さであった七重塔を1/3の大きさに再現しています。

 

温故館

いきなり国分寺跡に行っても、野原が広がっているだけみたいです。

 

国分寺跡の隣にある海老名市立「温故館」に立ち寄って予備知識を仕入れることにしました。

 

「温故館」は、駅から徒歩約10分です。

 

館内には、相模国分寺をはじめ、旧石器・縄文・弥生時代の発掘された資料などが展示されています。

 

館内に入ると職員(ボランティアの人?)が、親切に15分ほど解説してくださいました。

 

相模国分寺の様子を再現した模型も展示してあります。

 

相模国分寺は、法隆寺式伽藍配置を持つ大規模な寺院だったそうです。

 

「温故館」でいただいたパンフレットにあった国分寺の配置図です。

 

海老名市が作成した「動画」で当時の様子を知ることができます。


www.youtube.com

 

史跡・相模国分寺跡

では、いよいよ「相模国分寺跡」に行ってみましょう。

 

かつての中門があった場所です。

 

金堂があった場所です。

 

そして、七重塔が建っていた場所です。

 

少年たちが、奈良時代の上で遊んでいました。

 

僧房跡はこの辺りです。

 

史跡エリアのほぼ中央に、立派な銘板がありました。

 

一望すると、単なる広場といった気もしないでもありません。

 

 

 

しかし、随所に残る古代の面影。

 

今から約1,300年前の遠い奈良時代に想いを馳せることができました。