横須賀市の北東部、東京湾を望む地に「三笠公園」はあります。
「水と光と音」をテーマとした公園で、「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」に選定されています。
そして、そこには日露戦争で活躍した旗艦「三笠」が保存されています。
1970年前後に新聞に連載された司馬遼太郎氏の歴史小説「坂の上の雲」。
明治維新を経て近代国家として歩み出した日本を舞台に、日露戦争に勝利するまでの人々の姿を描いています。
それを壮大なスケールで映像化したのがNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」です。
ドラマのクライマックスの一つは、バルチック艦隊との日本海海戦です。
国家の存亡をかけた戦いは、世界の海戦史上、稀に見る完全な形での勝利を収めました。
戦争を賛美するのでなく、時代の背景の中で、懸命に努力をする人々の姿には胸を打たれるものがあります。
三笠公園には、遠い昔に一度訪れたことがあります。
今回、改めて記念艦「三笠」を見ながら往時に思いを馳せました。
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三笠公園
「三笠公園」は、京急「横須賀中央駅」から徒歩約15分、横須賀市役所にも近い横須賀の中心部にあります。
公園に入ると連合艦隊の旗艦「三笠」と東郷平八郎司令長官の像が目に入ります。
坂の上の雲
「坂の上の雲」(さかのうえのくも)は、司馬遼太郎が10年の歳月をかけて書き上げたといわれる歴史小説です。
明治維新を経て近代国家として歩み出した極東の小さな国「日本」を舞台に、日露戦争に勝利するまでの人々の姿を描きます。
産経新聞夕刊に1968年(昭和43年)4月22日から1972年(昭和47年)8月4日まで、1296回にわたり連載されました。
物語は、伊予松山に生まれ日露戦争の勝利に大きく貢献した秋山好古・真之兄弟、俳人・正岡子規の3人の人生をたどりながら展開していきます。
NHKスペシャルドラマ
小説「坂の上の雲」を映像化したのがNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」です。
2009年から2011年にかけての年末に全13回放送されました。
錚々たる俳優陣が出演し、スケールの大きさは類を見ないものです。
司馬遼太郎のもとには、連載中から映像化のオファーが殺到していたそうです。
しかし、司馬は「戦争賛美と誤解される、作品のスケールを描ききれない」として許可しなかったそうです(wikipedia)。
司馬の死後、NHKの熱意と映像技術の進歩により、許可が下りたそうです。
ドラマのクライマックスは、2011年12月に放送された第3部です。
日露戦争において、
陸軍は多大な犠牲を伴いながらも、二〇三高地を奪取し、奉天会戦で辛うじて勝利を手にしました。
一方、ロシアの威信をかけてバルト海からは、バルチック艦隊が極東へと向かっていました。
(以下6枚の写真は、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」から借用)
これを迎え撃つのは、旗艦「三笠」以下の連合艦隊です。
1905年(明治38年)5月、日本海海戦が行われました。
戦闘開始直前、東郷司令長官は旗艦「三笠」艦上で、進路を左に取るよう指示を発します。
バルチック艦隊の進路を塞ぐような陣形をとり始めます。
その間、バルチック艦隊の攻撃を受けながらも、
回頭を終えると、一斉に攻撃を加えます。
「丁字戦法」と言われるものです。
この戦いで、バルチック艦隊は壊滅しました。
海戦史上、稀に見る完全な形での勝利といわれています。
この海戦の約3か月後、ポーツマス条約が締結され、日露戦争は終結しました。
記念艦三笠
「三笠」は、1902年(明治35年)にイギリスで竣工しました。
日本海海戦の後、1926年(大正14年)に横須賀で記念艦として保存されました。
1961年(昭和36年)に往時の姿に復元され、世界三大記念艦とされています。
それでは、中に入ってみましょう。
上甲板と呼ばれる階からが順路です。
無線電信室です。
8cm砲台です。
前方にある30cm主砲です。
大きな煙突です。
上甲板の上には、司令塔や海図室があります。
さらにその上には、
東郷司令長官や秋山参謀が日本海海戦のときに立っていた最上艦橋があります。
羅針盤の下に金属板が4枚設置されています。
一番前方が東郷司令長官、左側が秋山参謀が立っていた位置を示しています。
右側が、敵艦との距離を測る測距儀という機械です。
さきほど見た上甲板の1階下が中甲板と呼ばれ、展示室となっています。
さまざまな展示と解説がなされ、資料館としても充実した内容です。
奥には、長官公室などもあります。
スペシャルドラマでは、何回となく登場する部屋です。
公園を散歩
記念艦「三笠」を出て、公園内を歩いてみました。
「さざなみの階段」です。
公園は、横須賀港に面しています。
屋外ステージもあります。
高まりの丘では、芝生の上でお弁当を広げているカップルがいました。
平和でのどかな公園の風景です。