全国屈指の巨大ターミナル駅「横浜駅」。
6社局の鉄道が乗り入れ、日々200万人ほどの人が行き交います。
現在の横浜駅は、三代目(3か所目)になります。
1872年(明治5年)に日本で初めて鉄道が走ったのは新橋駅-横浜駅間です。
当時「横浜停車場」と呼ばれた初代横浜駅は、今のJR「桜木町駅」です。
この初代と現在の三代目の横浜駅の間に存在したのが「幻の駅」とも呼ばれる二代目横浜駅です。
駅舎は、同じ場所で建て替えるのが一般的ですが、
開業以来、約50年の間に三か所場所を変えた「横浜駅」は珍しい存在ではないでしょうか。
鉄道発祥の地「桜木町駅」の北口に横浜駅の歴史を記す解説板がありました。
この中に、「横浜駅の移転」を示す図がありました。
これを使って横浜駅三代の変遷を辿ってみましょう。
目 次 🚂
初代「横濱停車場」
1872年(明治5年)に新橋駅-横浜駅間で開業した日本初の鉄道。
横浜側の駅は、現在のJR「桜木町駅」です。
「横濵停車場」と呼ばれた駅は、瀟洒なものでした。
(桜木町駅北口の解説板を撮影。次の2枚も同じ)
当時は、蒸気機関車の時代です。
新橋-横浜間の3分の1が海を埋め立てて造られており、横浜駅周辺も埋立地にありました。
文明開化の幕開けです。
(神奈川県立歴史博物館デジタルアーカイブから借用)
鉄道建設当時は、首都・東京と世界の玄関口となった横浜の開港場を結ぶものでした。
(黄色の線のとおり。×印の線路は当時はありませんでした。)
しかし、横浜停車場は、日本の大動脈ともいえる東海道から少し外れた場所にありました。
このことが、後の横浜駅の移転につながる大きな理由となります。
1887(明治20)年、鉄道が神奈川県小田原市の「国府津(こうづ)駅」まで延長されると、
行き止まりの横浜駅に立ち寄るために、スイッチバック方式が採用されました。
(黄色の線のとおり。)
1894(明治27)年、広島まで延伸されていた鉄道を日清戦争に伴う軍事輸送効率化のため、
横浜駅を経由しない短絡線が神奈川~保土ヶ谷間に敷設されました。(赤い路線)
このため、ほとんどの列車が横浜駅を経由しなくなってしまいました。
二代目横浜駅
1914年(大正3年)に東京駅が開業し、翌年の1915年(大正4年)に横浜駅は桜木町から高島町に移転し、二代目横浜駅が開業しました。
レンガ造りのルネサンス様式の風格ある駅舎でした。
これにより、東海道本線は少し湾曲しながらも横浜駅を経由して走るようになりました。
しかし、8年後の関東大震災でその荘厳な姿は一瞬にして失われました。
二代目横浜駅があった場所は、遺構として保存されています。
三代目横浜駅
二代目横浜駅は、関東大震災後も駅としての機能は存続しましたが、
1928年(昭和3年)、震災復興事業として約1㎞北に位置する現在の横浜駅の場所に再建されました。
三代目横浜駅の誕生です。
これにより、東海道本線は直線化しました。(黄色の線)
それから約100年。
変貌を遂げ続けて工事が完成しない「日本のサグラダファミリア」ともいわれた横浜駅周辺ですが、
2020年のJR横浜タワーの完成でひと段落しました。
今では、6社局が乗り入れる全国屈指のターミナル駅へと成長しました。
今日も多くの人が行き交います。
(中央通路「赤い靴の少女像」)
(写真を撮ったのは、早朝だったので、人が少ないです😆 )