青空のスローな生活

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黒船来航の地「浦賀」(横須賀市)~近代日本の幕開け

京急本線に乗って、終着駅「浦賀駅」にやって来ました。

 

kirakunist.hatenablog.com

 

浦賀と聞いて、思い浮かべるのは1853年のペリー率いる黒船の来航でしょう。

 

「泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず」

という狂歌が当時の混乱ぶりを表現しています。

 

鎖国政策をとっていた江戸時代、唯一外国に開かれていた長崎の出島ではなく、

江戸の喉元の浦賀に軍艦を差し向け開国を迫った異国に幕府は驚愕しました。

 

この事件をきっかけとして、日本は開国し、そして近代化への道を歩み始めました。

 

そして、近代化の舞台の一つとなったのが、浦賀そして横須賀でした。

 

 

目 次 ⚓

 

黒船来航

黒船がやって来た浦賀沖を見に行ってみましょう。

 

京急「浦賀駅」を出ます。

 

駅前の交差点にある工場の塀に絵があります。

 

黒船来航の絵です。

浦賀中学校美術部の作品のようです。

 

ペリーが乗っていた「サスケハナ号」です。

 

隣には浦賀の案内がありました。

 

県道沿いに浦賀港へと向かいます。

 

工場の周囲に地元の小中学校の作品があります。

 

さらに南へと進みます。

 

「浦賀造船所」跡の説明があります。

黒船の来航を機に、幕府は軍艦建造の必要性を痛感し、ここに浦賀造船所を設置しました。

 

レトロチックな塀があります。

 

まだ塀が続きます。

この内側辺りに2021年に住友重機械工業から横須賀市に寄付された浦賀レンガドックがあります。

 

イベントなどで公開されています。

(横須賀市HPから借用)

 

浦賀ドック周辺一帯では市・住友重機・京急などが協働して利活用する計画が進んでいるようです。

 

浦賀港が見えてきました。

 

浦賀港西岸遊歩道が整備されています。

 

この先が、黒船が姿を現した場所あたりです。

 

開国へ

ペリーが黒船で浦賀沖に現れた1853年(嘉永6年)、幕府はペリー一行の久里浜上陸を認めました。

(神奈川県立歴史博物館デジタルアーカイブから借用)

 

その際、アメリカ合衆国大統領からの開国を求める親書が渡されました。

 

そして翌1854年(嘉永7年)、日米和親条約が締結され下田と函館が開港し、長く続いた鎖国は終わり、日本は開国しました。

(日米和親条約締結地(横浜市中区 神奈川県庁近く))

 

近代日本の幕開け

ペリーの黒船来航を機に日本各地で尊王攘夷運動が本格化し、明治維新へと繋がりました。

 

1867年(慶応3年)に、幕府から大政奉還が行われ、翌年に明治となりました。

 

当時は、欧米列強の植民地獲得競争が東南アジアや中国にも及んでいた時代です。

 

明治政府は、富国強兵を掲げ、日本の近代化を急ぎました。

 

黒船来航は、日本が封建制から近代国家へと大きく変貌するきっかけとなったともいえるでしょう。