青空のスローな生活

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北条早雲公像(小田原駅) ~ 大河のオファーはまだかな?

後の徳川家康

 

松平元康が、東の駿河・今川氏、西の尾張織田氏、北の甲斐・武田氏に囲まれて、

「どうする‥🤔」と悩んでいた頃、

 

今川氏の治める駿河のすぐ東には、関東の覇者・北条氏が一大勢力を築いていました。

 

振り返れば2022年は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で盛り上がった1年でした。

 

新年になっても、鎌倉殿ロスが癒されない日々が続いています🥺

 

大河ドラマで、主役が務まる神奈川ゆかりの人物といえば、「源頼朝」か「執権・北条氏」しか思い浮かびません。

 

でも、よ~く考えたら、もう一人いるではないですか!

 

戦国時代に、小田原城を拠点として関東で250万石ともいわれる勢力を誇った北条氏(後北条氏)の祖北条早雲です。(知っているかな‥🙄)

 

小田原駅前にある北条早雲公像」を思い浮かべながら、今後の大河ドラマについて考えます🤔

 

 

※史実には、諸説あるものが多く、記事の内容に間違いがありましたらご容赦ください。

 

目 次

 

北条早雲公像(小田原駅

北条早雲公像に行くには、小田原駅西口(新幹線口)に出ます。

 

 

駅を出てすぐの駅前ロータリーの一角にあります。

 

 

勇ましい早雲の下には、角に松明をつけた牛がいます。

 

1501年に1000頭の牛に松明をつけて大軍を装い、相模の守護大名・大森氏の小田原城を攻め落とした「火牛(かぎゅう)の計」をモチーフにしたものです。

 

北条早雲

北条早雲は、室町幕府政所執事であった備中(現岡山県)伊勢氏の出自といわれています。

 

1467年の応仁の乱を経て、世は戦国時代へと突入し、

 

早雲は、駿河国の今川家に嫁いだ姉の北川殿を頼り、駿河に入りました。

 

今川家の家督争いで功を挙げた早雲は、伊豆に領地を与えられ、その後、伊豆を手中にします。

 

関東を平定する野望を抱いていた早雲は、1501年、相模の守護大名であった大森藤頼から小田原城を奪い取り、相模国を平定しました。

 

ちなみに「北条早雲」の名は、1519年の没後にもちいられたようで、生前は、伊勢新九郎あるいは伊勢宗瑞を名乗っていたとのことです。

 

北条五代

早雲は、1518年に嫡男・氏綱に家督を譲り、氏綱は小田原城に拠点を移しました。

 

その子・氏康により関東が平定され、氏綱、氏康、氏政、氏直と早雲から数えて五代にわたり、最大石高250万石ともいわれる勢力を誇りました。

 

1590年、氏直の代に豊臣秀吉小田原征伐で落城し、北条氏の関東支配は終焉を迎えました。

 

鎌倉幕府執権の「北条氏」とは無縁であり、区別するため「後北条氏」「小田原北条氏」と呼ばれることもあります。

 

四季折々の美しさを見せてくれる小田原城は、多くの人に愛されています。

(2019.10 小田原城

 

(2018.3 桜の花咲く小田原城天守

 

大河ドラマへの野望

NHK大河ドラマは、1963年にスタートした歴史ドラマシリーズです。

 

今年放映の「どうする家康」で62作目のようです。

 

子どもの頃は、時代劇には興味がありませんでしたが、「大河ドラマ」だけは父と一緒に見ていた記憶があります。

 

大河ドラマの主役には、傾向があるようです。

 

平安~鎌倉時代は、平清盛源頼朝義経、弁慶、執権・北条氏などが常連です。

 

戦国時代は、織田信長豊臣秀吉徳川家康の「三英傑」は、繰り返し取り上げられてきています。

 

三英傑以外の戦国大名で主役となったのは、「毛利元就」「伊達政宗」「上杉謙信」「斎藤道三」「武田信玄」「真田信繁」くらいでしょうか。

 

戦国時代には、各地で名だたる大名が覇を競っていましたが、「大河ドラマ」の主人公になるのはハードルが高いようです。

 

「早雲公」にオファーが来るのは、まだ先のようです。

 

岡山県静岡県・神奈川県・東京都・埼玉県にある8市2町は、「北条五代」を大河ドラマにするべく「北条五代大河ドラマ化推進宣言」を採択して取り組んでいるようです。

 

www.city.odawara.kanagawa.jp

 

北条氏に限らず、全国各地にはお国自慢の人物が必ずといっていいほどいます。

 

その生涯にスポットを当てれば、きっと想像を超えるドラマがあるはずです。