藤沢市の東部エリアは、鎌倉時代に由来する歴史スポットが多くあります。
国道1号沿いの藤沢・鎌倉市境に近い交差点に、相州藤沢「白旗神社」があります。
「白旗」は、源氏の旗印で、白旗神社というのは各地で見られます。
その多くは、源頼朝を御祭神としているようですが、ここは源義経を祀っています。
以前からその存在は気になっていましたが、
先日、近くを通ったので立ち寄ってみました。
目 次
源義経
1180年(治承4年)8月、源頼朝が伊豆で打倒平氏の挙兵をしたとき、
奥州藤原氏のもとからいち早く駆け付け、
源平合戦を勝利へと導く立役者の一人となった弟・義経。
1185年(元暦2年)3月24日、壇ノ浦の戦いで、平氏は滅亡し、5月に、義経は、平氏方総大将の宗盛・清宗父子を護送する名目で京から鎌倉へ向かいます。
しかし、前年の8月、頼朝の許可なく朝廷から検非違使の職を受けるなどして怒りをかっていた義経は、鎌倉に入ることを許されず、腰越で止められてしまいました。
義経は、頼朝にあてて切々とその心情を綴った「腰越状」を送ったとされています。
結局、鎌倉入りを認められなかった義経は、京に戻り、後白河法皇から頼朝追討の宣旨を得て挙兵しましたが失敗。
逆に追討の宣旨を出されて奥州藤原氏のもとへと逃れましたが、1189年に「衣川の戦い」で藤原泰衡に自害に追い込まれました。
白旗神社
白旗神社は、源氏の旗印である白旗に由来するもので、源頼朝を御祭神とするものが多いですが、源義経や有力武将をお祀りするものもあります。
相州藤沢・白旗神社は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と源義経公を御祭神とする神社です。
鎌倉時代以前から、相模国一之宮の寒川比古命(さむかわひこのみこと)の御分霊を祀り、寒川神社と呼ばれていたそうです。
その後、源義経が奥州で自害に追い込まれるとその首は弁慶の首とともに鎌倉に送られ、和田義盛、梶原景時によって見分されたそうです。
二つの首は、夜の間に近くの川を上り、この地に辿り着いたといわれています。
このことを頼朝に伝えると、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示があり、義経公も御祭神として祀ることとなったそうです。
(相州藤沢・白旗神社公式より)
源義経公武蔵坊弁慶公之像
(白旗神社境内)
お詣りします
きれいな鳥居です。
七五三のシーズンですね。
手水舎で清めます。
本殿に続く階段です。
脇に白旗神社の説明がありました。
階段を登ると広場があります。
絵馬も沢山あります。
地域の人たちに親しまれているのでしょう。
正面が本殿、左にあるのが「源義経公鎮霊碑」です。
階段を登りきると、右側に「弁慶の力石」があります。
かつて、力自慢がこの石で力比べをしたそうです。
この石に触れると健康になり病気をしないといわれているそうです。
本殿です。
お詣りしました。
凛々しいです。
この場所に白旗神社があることを知ったのは、随分と前のことですが、
やっと来ることが出来ました。