今では、どこの港でも見ることが出来る赤灯台・白灯台。
港を守る左右の防波堤の先端に建てられる「防波堤灯台」です。
港に向かって右が赤灯台、左が白灯台です。
そして、日本で初めて造られた防波堤灯台が、「横浜東水堤灯台(ひがしすいていとうだい)」と「横浜北水堤灯台(きたすいていとうだい)」です。
このことを知ったのは、つい最近のことです。
山下公園に行った人なら誰でも訪れるであろう氷川丸。
その氷川丸が係留されている桟橋の先端にある白い灯台。
この白灯台(旧横浜東水堤灯台)が、どのような歴史を歩んできたかを知る人は意外と少ないかも知れません。
今回は、「旧横浜東水堤灯台」を通して、横浜港築港の歴史に想いを馳せます。
目 次 ⚓
防波堤灯台
防波堤灯台は、港口などを示すために、港湾や漁港の防波堤の先端に設置される灯台です。
港に向かって右側に赤灯台(赤色の光)、左側に白灯台(緑色の光)を置くのが、国際的なルールとなっています。
赤灯台と白灯台は、普通は「対」で設置されるようです。
今では、港に出かけたり、海を舞台とする映画やドラマなどで、しばしば目にする灯台です。
そんな赤灯台・白灯台ですが、日本で初めて作られたのが、「横浜北水堤灯台」と「横浜東水堤灯台」です。
横浜港築港
長い鎖国政策から開港へと転じた日本は、近代的な貿易港を整備することが急務でした。
横浜もその一つで、イギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーの設計により進められました。
1896年(明治29年)、北水堤と東水堤の2基の横浜港内防波堤が、弧を描くように築造され、大型船が着岸できる大桟橋が造られました。
そして、その水堤(防波堤)の先端に、それぞれ赤灯台と白灯台が築かれました。
「横浜東水堤灯台」と「横浜北水堤灯台」と呼ばれた日本初の防波堤灯台の誕生です。
旧横浜東水堤灯台(白灯台)
建設当時は、北水堤は全長1829m、東水堤は全長1640mあったそうですが、
その後の埠頭建設によって、現在では、それぞれ1,039m、361mとなっています。
空から見るとこのようなイメージです。
(2020.10桜島への旅の際に撮影した写真をもとに作成)
そして、もともと東水堤の先端にあった「横浜東水堤灯台」(白灯台)は、
昭和38年に東水堤の大部分が山下ふ頭に取り込まれたことに伴い、氷川丸が係留されている桟橋へと移設・保存されました。
近くにある横浜マリンタワー展望フロアからみるとこのようになっています。
アップするとこうなります。
現在、「横浜東水堤灯台」(白灯台)は、「旧横浜東水堤灯台」として第二の人生を送っています。
もともと横浜東水堤灯台があった場所には、現在は浮標(ブイ)が設置されています。
横浜北水堤灯台(赤灯台)
そして、横浜港を望むと、「横浜北水堤灯台」(赤灯台)が見えます。
日本初の防波堤灯台であり、現在も現役で活躍している灯台です。
よほど意識していないと気が付かない灯台です。
いつもはスマホのカメラで撮っていますが、今回は、デジカメのズームで撮りました。
横浜港内の遊覧船などに乗ると近くで見られるようです。
今回、初めて知った日本初の防波堤灯台の歴史。
普段、目にしている赤灯台と白灯台のルーツに出会うことができました。