古都鎌倉
初めての本格的な武家政権である鎌倉幕府が置かれたところです。
三方を山に囲まれ、一方は海に面した地形は、天然の要害であったからとも言われています。
山には、いくつもの切通しが残り、往時を彷彿とさせ、
そして、鶴岡八幡宮、建長寺、円覚寺などに代表される伝統ある寺社仏閣。
一年を通じて多くの観光客で賑わっています。
私も、何回となく訪れた地です。
ただ、一点、ずっと疑問に思っていたことがあります。
鎌倉幕府って、どこにあったんだろう‥。
長年の疑問を解消すべく、鎌倉幕府跡を訪ねてみました。
※鎌倉時代の史実には、諸説あるものが多く、以下の記載に間違いがありましたらご容赦ください。
目 次
鎌倉殿の13人
1180年(治承4年)8月、源氏再興のため源頼朝は、兵を挙げます。
平氏側との苦戦を強いられながらも、10月には、数万ともいわれる軍勢を率いて鎌倉入りを果たしました。
家臣らは、主である頼朝のことを「鎌倉殿」と呼び、以降、鎌倉幕府の征夷大将軍をこう呼んだようです。
頼朝を支えた重臣は、13人。
頼朝の死後、13人は熾烈な権力争いを繰り広げ、最後には「北条義時」が権力を手中に収めます。
鎌倉幕府の変遷
1180年に鎌倉に入った源頼朝は、大倉の地に屋敷を構え、大倉幕府を開設し、1225年まで存続しました。
その後、1225年、第3代執権・北条泰時が、宇都(津)宮幕府に移設、
そして、同じく北条泰時が、1236年に若宮大路幕府に移設し、鎌倉幕府滅亡の1333年まで続きました。
いずれも、鶴岡八幡宮とその参道である若宮大路の東側に位置します。
宇都(津)宮辻子幕府跡
それでは、鎌倉幕府が置かれた3ケ所を巡ってみましょう。
鎌倉駅から、近い順に行きます。
小町通りには、「鎌倉殿の13人」の幕が出ています。
👇北条義時
👇13人の重臣
途中で右折して、若宮大路に出ます。
二の鳥居です。ここから、「段葛」と呼ばれています。
段葛の右側の県道を進み、鎌倉彫会館を右折します。
直進し、狭い通路をさらに直進します。
「宇都(津)宮辻子幕府跡」です。
お稲荷さんがそばにあり、周囲は一体、住宅地となっています。
若宮大路幕府跡
一旦、県道に戻り、鶴岡八幡宮方面に進み、caféを右折します。
直進します。
さらに直進します。
「若宮大路幕府跡」です。
ここも周囲は住宅地となっています。
大倉幕府跡
若宮大路幕府跡から金沢街道へと出て、この先を左折します。
住宅地の中を直進します。
1180年、鎌倉幕府が初めて置かれた「大倉幕府跡」です。
小学校の一角に碑が建てられていました。
源頼朝・北条義時法華堂(墳墓)跡
大倉幕府跡の近くには、源頼朝と北条義時の法華堂(墳墓)跡もあります。
大倉幕府跡から、北へ100mほど行くと、白旗神社があります。
その前にある階段の上に法華堂跡(源頼朝墓)があります。
法華堂跡(源頼朝墓)です。
すぐそばに、島津藩主・島津重豪が整備したとされる塔がありました。
この地の東側には、北条義時の法華堂跡もあります。
白旗神社まで戻り、東に少し行くと、階段があります。
階段を登ると「法華堂跡(北条義時墓)」です。
今回、初めて鎌倉幕府跡を巡り、その歴史を確認することが出来ました。
約150年続いた鎌倉時代の幕府跡が、現在、住宅地となっていることに少々驚きましたが、
それも中世の歴史と考えれば、致し方ないことでしょう。
今から約840年前に、この地に初めての幕府が置かれ、
本格的武家政権の草創期に
源頼朝をはじめ、御家人らが、繰り広げた人間模様に思いを馳せるとき、胸が高鳴ります。
「鎌倉殿の13人」、楽しみです。