旧街道の「宿場町」。
瞬時に、遠い昔にタイムスリップすることができる場所でもあります。
江戸時代に、幕府は日本橋から京都の三条大橋までの東海道を整備し、53の宿場町を設けました。
現在でも、多くの宿場町、街道沿いではその面影を残しており、
地元自治体や住民の方々も、保存・整備に力を入れています。
先日、神奈川県内に九つある旧東海道・宿場町の一つ「藤沢宿」をぶらり巡ってきました。
目 次
藤沢宿
湘南地域の中心的存在「藤沢市」。
(👇藤沢駅北口ペデストリアンデッキから市役所方面を望む)
歌川広重の浮世絵では、このように描かれています。
「藤沢宿」は、慶長6年(1601年)に、東海道五十三次の6番目の宿場町として誕生しました。
いくつかの街道の分岐点でもあったことです。
その一つが、「江の島弁財天詣で」への「江の島道」。
江戸時代、江戸から3泊4日の旅で行けることから、
弁財天信仰もあり参拝という名目で物見遊山としても盛んに行われ、多くの人で賑わいました。
👇左:現在の江の島 右:江の島弁財天詣での浮世絵
もう一つが、「大山詣で」で賑わった「大山道」。
往時の藤沢宿の面影を残す場所は、いくつかありますが、
今回は、
江島神社一の鳥居跡、高札場跡
藤沢市立ふじさわ宿交流館
蒔田本陣跡
を巡ります。
藤沢宿へ
では藤沢宿へ向かいましょう。
藤沢駅北口を出ます。
遊行通りを北に向かいます。ここは、旧東海道ではありません。
トランスボックス(地上変圧器)は、浮世絵などでラッピングされています。
この橋の右手から横浜方面に、そして、左手から茅ヶ崎方面に続く道が、旧東海道です。
橋のたもとには、江の島への道標となる「江の島弁財天道標」が残されています。
ここには、江島神社一の鳥居があったそうです。
同じ場所には、幕府からの通達の類を掲げる「高札場」がありました。
右に曲がり遊行寺橋を渡ります。
橋を渡ると藤沢市立「ふじさわ宿交流館」、正面には時宗総本山「遊行寺」の門が見えます。
ふじさわ宿交流館
「ふじさわ宿交流館」は、藤沢宿の歴史文化を伝承する市の施設です。
この場所は当時、「藤沢広小路」と呼ばれる火事の延焼を防ぐ「火除け地」があった一角です。
中に入ると藤沢宿の模型が展示されています。
当時の旅の道具が展示されています。
当時の旅の様子がしのばれます。
時宗総本山「遊行寺」
「ふじさわ宿交流館」を後にして、時宗総本山「清浄光寺」(遊行寺)に行きます。
正式名称は、「清浄光寺」ですが、遊行上人の寺ということから広く一般に「遊行寺」と呼ばれています。
お札をくばりながら、日本各地をまわって遊行して「踊り念仏」を行ったことで有名です。
参道を登ると境内に着きます。
広大な敷地です。
本堂横には、「一遍上人」の像があります。
本堂です。
お参りします。
蒔田本陣跡
遊行寺を後にして、遊行寺橋まで戻り、旧東海道を北西に進み「蒔田本陣跡」へ向かいます。
「本陣」は、大名、旗本、勅使などの身分が高い者が宿泊した宿で、その土地の名士の家が指定されることが多かったようです。
途中には、トランスボックスを利用して浮世絵、昔の写真などが飾られています。
左上は大正12年頃の商店街の様子、左下は昭和12年頃の藤沢町役場です。
今と全く違います。
「蒔田本陣跡」です。
当時の建物は現存していません。
今回巡った「藤沢宿」の一角。
この近辺は、数えきれないほど通過していましたが、一度も気を留めたことがありませんでした。
身近なところにある歴史ある場所を巡り、
遠い昔に想いを馳せた一刻でした。