皆さんは、「矢切の渡し」を知っているでしょうか。
私が、「矢切の渡し」を知ったのは、
1983年(昭和58年)に大ヒットした細川たかしさんの曲です。
「つれて逃げてよ~♪」
「ついておいでよ~♪」
「第25回レコード大賞」を受賞し、紅白歌合戦の大トリともなりました。
個人的には、「たかしファン」とか「演歌ファン」ではありませんでしたが、
歌詞の意味が分からないまま‥
こぶしの利いた迫力ある曲のイントロ部分は、すっかり頭の中に刷り込まれてしまいました😅
在職中は、「地理」あるいは「歴史」といったものにとんと無頓着で、
「矢切の渡し」なるものが、「何なのか‥」は知りませんでした。
「夕ぐれの雨が降る~ 矢切のわたし~~♪」
ず~~っと、「私」だと勘違いしていました😅
先日行った寅さんの故郷・葛飾柴又。
事前に周辺をGoogleマップで周辺を調べていたら、
なんと、「矢切の渡し」あるではないですか!
「矢切の渡し」が、「矢切」にある「渡し場」だということを初めて知りました😅
せっかくなので、「矢切の渡し」を見てきました。
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渡し
「渡し場」といわれれば、何なのかはイメージできましたが、
「渡し」という言葉の意味を知ったのは、昨年、多摩川の「登戸の渡し」に行ったときです。
まだ土木技術が発達していない時代には、川を往来する手段は「渡船」が中心でした。
その発着場所が、「渡し」です。
日本中の大きな川には、いくつもの「渡し」がありました。
大きな川でも橋が架けられる時代となり、その役割を終えて「渡船」は次第に廃止されていきました。
矢切の渡し
「矢切の渡し」は、江戸川を挟んで、柴又(葛飾区)と松戸市下矢切(千葉県)を結ぶ渡し船です。
江戸時代に農作業の往来などのために設けられたそうです。
「野菊の墓」の舞台となり、ヒット曲「矢切の渡し」、「男はつらいよ」などで有名になったそうです。
日本で、今も残る数少ない「渡し」の一つで、片道200円で乗船できるそうです。
矢切の渡しへ行く
柴又側から行くには、柴又帝釈天からすぐ近くです。
江戸川の土手(堤防)の上に行くと、江戸川の河川敷に「柴又公園」があります。
少し上流を眺めると、中央部が「矢切の渡し」(柴又側)です。
土手を降りて、まっすぐに行きます。
人が来る方が、「矢切の渡し」です。
「矢切の渡し」の歌碑があります。
そのすぐ横が「矢切の渡し」(柴又側)です。
渡し場です。
松戸市側からは、船が出ており、利用者らしき人も見受けられました。
数十年来の謎が解けた瞬間でした。