東京都港区から東京湾沿いを南下し、神奈川県の川崎、横浜そして横須賀をはじめとした三浦半島の都市間を結ぶ京浜急行電鉄(京急)。
今回は、「横浜駅」(横浜市西区)から「泉岳寺駅」(東京都港区)へと京急本線を北上します。
今回、事前に調査していて、駅名の由来である「泉岳寺」が、「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士47士が眠るお寺だということを初めて知りました。
鉄道の車止めが醸し出す「どこか哀愁を帯びた情景」を綴るシリーズですが、今回の「泉岳寺駅」は、都会のど真ん中です。
はてさて、どのような景色が広がっているのでしょうか。
目 次 🚋
京急本線
「京急本線」は、泉岳寺駅(東京都港区)と浦賀駅(神奈川県横須賀市)を結ぶ京浜急行電鉄の路線です。
元々は、品川駅(東京都港区)が起点でしたが、泉岳寺駅まで延伸されたため、厳密には品川駅-泉岳寺駅の間は、支線扱いのようです。
今回は、横浜駅から乗車して東京へと北上し、泉岳寺駅へ向かいます。
泉岳寺駅へ
「泉岳寺駅」へは快特で20数分です。
出発~!
快特は、早いです!
すぐに川崎駅周辺のビル群が見えてきます。
「京急川崎駅」に到着です。
多摩川を渡る鉄橋が見えてきました。
多摩川を渡ります。
「京急蒲田駅」に到着です。
羽田空港へと続く空港線が分岐しています。
まもなく「品川駅」です。
都会ですね~
品川駅です。
次は「泉岳寺駅」です。
都営浅草線の車両がやってきました。
都会ですね~
泉岳寺駅の車止め
泉岳寺駅に到着です。
暗くて分かりませんが、都営浅草線に乗り入れているので、車止めはないはずです。
(あったらまずいって…😄)
ホームに降りました。
暗いですが、車止めはありません😄
忠臣蔵
「泉岳寺駅」の名前の由来は、「泉岳寺」のすぐそばにあるからです。
泉岳寺は、赤穂四十七士の墓所があるお寺です。
元禄14年(1701年)、江戸城松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が高家・吉良上野介に刃傷に及ぶも討ち損じ、即日切腹に処せられるという事件がありました。
赤穂藩は断絶となりましたが、翌元禄15年12月、元家老大石内蔵助以下旧家臣47人が吉良邸に討ち入り、藩主の本懐を遂げました。
一行は、藩主の眠る泉岳寺で報告した後、幕府により各藩預かりとなり、翌年3月切腹、泉岳寺で葬られました。
赤穂事件と呼ばれるこの史実は、人形浄瑠璃や歌舞伎などで、「忠臣蔵」などとして語り継がれ、庶民の人気を博しました。
近代・現代でも、大佛次郎をはじめ様々な小説で描かれ、大河ドラマでも何作も放送されました。
私たちが知る赤穂事件は、どこまで史実に沿ったものなのかは知る由もありません。
また、事件の解釈は、立場によって異なるかも知れません。
泉岳寺
それでは、「泉岳寺」に行ってみましょう。
A2出口に向かいます。
地上に出ると都心のど真ん中です。
反対側に行くとすぐに泉岳寺の中門が見えます。
中門を入ると右手にお土産屋さんが数軒並んでいます。
陣太鼓もあります。
インバウンドも来るのでしょうか。
大石内蔵助の像です。
山門です。
本堂です。
お参りします。
お参りして振り返ると都会のど真ん中でびっくりしました。
境内の一角に赤穂義士墓所があります。
赤穂義士記念館もあります。
義士墓入口の門です。
浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門を明治時代に移築したものだそうです。
この先は、浅野内匠頭、奥方、四十七士らの墓所になります。
300円でお線香代を納めてのお参りになります。
赤穂事件から、約300年。
泉岳寺がある東京都港区高輪は、高層ビルが林立しています。
時の流れを感じます。