青空のスローな生活

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葛飾柴又へ ~ 寅さんの故郷を訪ねて

昭和を代表する名作男はつらいよ

 

ちょっと自分勝手なところがあるけど、人間味あふれて憎めない寅さん

 

そして、寅さんを暖かく見守る妹・さくらをはじめとする周囲の人たち。

 

故・渥美清さんが演じる「寅さん」と登場人物が織り成す人情味あふれるストーリーは、

 

寅さんファンならずとも、また、令和となった今でも、

 

多くの人たちが共感するものを持つのではないでしょうか。

 

先日、「男はつらいよ」を生み出した「松竹大船撮影所跡」(神奈川県鎌倉市)を訪ねました。

 

kirakunist.hatenablog.com

 

残念ながら、寅さんたちの記録はそこには残っていませんでした。

 

その過程で知ったのは、葛飾柴又(東京都葛飾区)には、街の至る所で寅さんたちの記憶を垣間見ることができるらしいということでした。

 

先日、GW真っただ中を「寅さんの故郷」を訪ねて、葛飾柴又に行ってきました。

 

そして、そこで見つけたものは‥。

 

 

 

目 次

 

柴又駅

寅さんたちのいる柴又駅は、京成電鉄金町線の駅です。

 

柴又駅に到着しました。

 

 

駅名表示板に「寅さん」と「さくら」がいます。

 

 

ホームも「男はつらいよ」一色です。

 

 

フーテンの寅像と見送るさくら像

改札を出ると、1999年に建てられた旅に出る「寅さん」の像があります。

 

 

寅さんの視線の先には、2017年に建てられた「さくら」の像があります。

 

 

駅前の通路に置かれた二人の像。

 

二人が異母兄妹だったということを、今回初めて知りました。

 

 

駅前の通路に銅像を作ってしまうという地元の方々の熱意に驚かされます。

 

柴又帝釈天

では、柴又帝釈天に向かいましょう。

 

駅のすぐそばから、帝釈天参道が続いています。

 

 

葛飾柴又は国の重要文化的景観に指定されています。

 

故・渥美清さんや山田洋次監督も通った「大和家」です。

 

 

1~4作まで撮影に使用された「とらや」です。

 

 

柴又帝釈天が見えてきました。

 

 

柴又帝釈天です。

 

 

時刻は午前10時前だったためか空いていました。

 

お参りは後ほどにして、先に寅さん記念館に向かいましょう。

 

寅さん記念館

寅さん記念館・山田洋次ミュージアムに到着です。

 

 

寅さんが館名の看板文字を取り付けています。

 

 

右足の「雪駄」が落ちてしまったようです。

 

 

では、館内に入ります。一部を写真で紹介します。

 

入るとすぐに、お馴染みの顔ぶれが迎えてくれます。

 

 

寅さんの人生の物語を紹介しています。

 

 

松竹大船撮影所から移設された「くるまや」のセットです。

 

 

映画でお馴染みの茶の間です。

 

 

懐かしい場面です。

 

 

タコ社長の印刷所もあります。

 

 

昭和30年代の帝釈天参道を再現したジオラマです。

 

 

撮影で使用された衣装やトランクなどです。

 

 

エンディングでは、ポスターや歴代マドンナなどが写し出されます。

 

 

山田洋次ミュージアム

「寅さん記念館」を出ると、山田洋次ミュージアムがあります。

 

 

1977年公開の高倉健主演幸福の黄色いハンカチ

 

 

2002年公開の真田広之主演たそがれ清兵衛

 

 

2006年公開の木村拓哉主演「武士の一分」

 

 

などなど。

 

印象に残っている映画の監督が山田洋次氏であったことを知りました。

 

そして、山田洋次ミュージアムで見つけたものは、

 

「シンボルステージ」中央に据えられた「松竹大船撮影所」ジオラマでした。

 

 

山田洋次監督のメッセージとして、

 

松竹大船撮影所は、

 

巨匠から新人監督、大スターから大部屋俳優、ベテランから新人までの技術スタッフ、千人をこえる活動屋たちによって映画が続々とつくり出されました。

 

ここは「夢をつくる工場」だったのです。

 

とありました。

 

先日、「松竹大船撮影所」があった大船を訪ねたときは、見つからなかった記録を、

 

寅さんたちの故郷・葛飾柴又でその存在が語り継がれていることを知り、少しほっとしました。

 

光る寅さんの左足

山田洋次ミュージアムを後にして、柴又帝釈天にお詣りして、柴又駅に戻った時のこと。

 

「寅さんの左足を触るとご利益がありますよ~」

 

大きな声で呼びかけている女性がいました。

 

観光客らしき人たちは、次々と触っていました。

 

「寅さん記念館」にいた寅さんの右足の雪駄は下に落ちていました。

 

しかし、左足のは落ちていませんでした。

 

このことから、左足を触ると「運が落ちない」「ご利益がある」などと噂され、

寅さんの左足は、ピカピカに光っていました。