青空のスローな生活

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<ぶらり旅> マドロス少年の像 ~ 横浜駅西口

駅の構内や近くには、必ずといっていいほど銅像がありますよね。

 

その対象は、地域の歴史上の人物であったり、伝承の物語であったり。

 

いずれも、地域にゆかりがあるものが多いですね。

 

横浜駅西口の駅前にある専門店ビル「横浜モアーズ(Yokohama MORE’S)」

その入口に立つ「マドロス少年」の像。

 

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可愛らしいような、

 

ちょっと生意気そうな少年です。

 

彼はどうしてここにやってきて、

 

ここで、何を見てきたのでしょうか。

 

 

 

目 次

  

マドロス少年の像

「マドロス少年」がここに来たのは、昭和43年(1968年)のこと。

 

私が、10歳の時です。

 

もしかしたら、同い年くらいかも知れません。

 

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「MORE’S」の前身である横浜岡田屋が、百貨店としてこの地で営業を開始したときに設置されました。

 

台座の横に碑文があります。

 

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この「マドロス少年」は

北欧の港町で見つけた置物をモチーフにブロンズ像を作成し

昭和43年11月に設置したものです。

 「マドロス」とはオランダ語で「船員」のこと。

 だぶだぶの船員の服を着て、マドロスパイプをくわえ、

大人のまねをして少しわるぶっている少年の姿が

港町ヨコハマによく似合うと思い、

「マドロス少年」と名づけました。

お待ち合わせのシンボルとして、ご愛顧頂ければ幸いです。

 横浜岡田屋

 

と、記されています。

 

港を中心として発展してきた横浜には、随所に港に関連する銅像があります。

 

 

日本でも屈指の乗降客を誇る「横浜駅」。

 

そして、駅前の姿もそれに相応しく変貌しています。

 

彼が、この地に来てから、半世紀が経ちました。

 

「マドロス少年」は、何を見てきたのでしょうか。

 

横浜駅西口

日本で最初の鉄道が開通したのは、新橋-横浜間、明治5年(1872年)のことです。

 

ここでの「横浜駅」は、現在の「桜木町駅」であり、

現在の横浜駅周辺は、当時は、埋め立て前の海でした。

 

現在の地に横浜駅ができたのは、昭和3年(1928年)のこと。

 

当時は、駅舎も木造で、駅前は広大な空き地でした。

 

 

戦後の再開発で、昭和34年(1959年)に横浜高島屋が開店。

 

その後、横浜駅西口は飛躍的な発展を遂げていきます。

 

現在の横浜駅西口を眺めてみましょう。

 

 右手が「横浜ベイシェラトン」、左手が「横浜高島屋」です。

 

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正面が、JR横浜駅と昨年営業を開始したJRヨコハマタワーです。

 左側が、「マドロス少年」のある横浜モアーズです。

 

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私が、20代の頃、横浜駅西口周辺で勤務していた時がありましたが、その頃とは、大きく様変わりしています。

 

 

「マドロス少年」は、半世紀の間、この街の移り変わりを見守ってきました。

 

そして、人は変われど「マドロス少年」は、この街の変貌を見続けていくのでしょう。